From a Corner of Somewhere

ユーラシアを北から南まで旅した記録 日本語と英語で書いてます。 Traveling From the North to the South of Eurasia

No.3 明日に向かって振り返る

 この船が韓国を中心にして運行しているからなのか、旅客の大半は韓国人だ。また、船内のレストランや売店の商品の多くは韓国系である。まだ日本の領海内を航行しているとはいえ、既に異国に来ているような感じだ。連日移動を繰り返していたこともあり、この日は早々に床に着いた。二日目の朝、船は韓国領内を航行しており昼前には東海についた。ここで4時間ほどの滞在だ。看板や標識がハングルで書かれていることを除けば、日本の地方都市の町並みに実によく似ている。「近くにあるものは互いに影響し合う」というのは、何も物理現象に限った話じゃない。人も文化も伝統も、永久的に独立を維持することできないし、孤立したままではその存在を保てない。アジアからヨーロッパに向かって旅をするとき、それらがどのように変わって行くのか、実に楽しみだ。

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 三日目の朝、空は快晴であった。ウラジオストクの湾内に入ると、船はスピードを落としながらゆっくりと進んで行く。抜けるような青空とロシアという国は僕には中々イメージしづらかったが、海岸沿いに立ち並ぶ瀟洒な建物と実によく合っている。この街がアジアと隣接しているということを微塵も感じさせない。

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 この爽やかな雰囲気は夏の北海道に似ている気がする。思い返せば、僕が初めて一人旅をしたのも北海道だ。とは言っても、それは札幌にある大学のオープンキャンパスに参加しただけであり、ホテルやフェリーの手配も旅行会社にやってもらったものなので、一人旅というにはかなり無理があるが。その時も今と同じ八月に新潟から日本海フェリーに乗り、北海道まで行った。フェリーは昼頃に新潟港を出発し、翌日未明には小樽港に到着した。確か小樽駅まで行くバスもあったはずだが、僕は歩いて行くことに決めた。理由はよく覚えていない。早朝の北国とはいえ夏真っ只中である。小樽駅は予想以上に遠く、ずっと歩いていると汗がふき出してくる。地図もGPS付きの携帯電話も持っていなかったし、早朝の街に人影は見当たらない。標識だけを頼りにして歩くしかなかった。その時感じた焦りと身体の火照り、見知らぬ土地を一人で歩くワクワクは今も覚えている。多分その時の経験が、今こうして長期の旅に出てしまった遠因になったのではないだろうか。比較対象の無い過去をいくら分析して考察したって、納得できる答えは出てくるはずもないが、きっとそうなんだろう。そういうことにしておこう。

 

 海風に吹かれながら、船内で仲良くなった青年とこれからのお互いの旅について語り合った。彼は21歳の大学生で、鉄道でドイツまで行くという。この歳でヨーロッパまで地続きの旅をするとはなんと羨ましい。初めて海外旅行してから10年経った。その時の自分より感受性が衰えたとは思っていないが、若さとは何事にも代え難いものだ。ただ、こんな風に考えてしまうことが、歳をとったということなのかもしれない。

 

 徐々にウラジオストク港が近づいて来た。フェリーターミナルにはロシア語でウラジオストク「Владивосток」と看板がある。この街からずっと歩けばヨーロッパまで行けるというのは、理屈では分かっていても中々信じ難い。僕の目の前でアリストテレスが地球は丸いと言ったって、この裏側にまで世界が広がっているとは想像できない。見えないものは分からないのだ。中学校の卒業式の答辞で引用した詩の一節をもう一度唱えてみた。「迷わず行けよ、行けばわかるさ。」

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