From a Corner of Somewhere

ユーラシアを北から南まで旅した記録 日本語と英語で書いてます。 Traveling From the North to the South of Eurasia

異国で外国語を学ぶとき、母国語について思うこと

 2018年5月から11月まで、アイルランドのダブリンにて語学学校に通いながら英語を勉強していました。授業では先生からよく「単語はコロケーションを意識して覚えてね!」と言われていました。コロケーションとは単語同士の自然なつながりのことで、外国語を学ぶ上で必須の知識です。似た様な意味の単語でも、組み合わせによっては不自然に聞こえたり意味を成さなかったりします。例えば、温かい店内から寒風吹き荒ぶ冬の街に出た時に「寒いね」と言うとします。英語ではこれを色々なカタチで表現することができます。

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アイルランド南部の町Corkの郊外

 

①It’s cold

②It’s very cold

③It’s fairly cold

④It’s bitterly cold

⑤It’s freezing

 

 ①を基本表現とするならば、②と③は副詞veryとfairlyを使用した強調表現です。この2つの副詞は多くの形容詞と共に使用することことが出来ます。しかし④のbitterlyは「ひどく」「身を切るほどの」の意味を持ち、特定の語としか使用することが出来ません。「bittely cold(身を切るほど寒い)」、「cry bitterly(激しく泣く)」などです。また、⑤のfreezingはそれ自体で「非常に寒い」と言う意味を持つので、先述したveryやfairlyと組み合わせることは出来ません。ただし、「totally freezing(完全に冷え切っている)」とすることは出来ます。この辺りの形容詞・副詞の使い分けは、おいおい記事にします。

 

 もちろん日本語にもコロケーションはあるのですが、日常生活でよく出てくるものであれば、ネイティヴである僕らは特に意識もせず使いこなしています。でも日本語の文章や会話を注意深く観察してみると、コロケーションに合わない言葉を意図的につなぎ合わせていることに気づきます。そうすることによって心に引っかかる言葉を作り出し、表現をもう一つ深い階層に持っていくことができるのです。

 

 例えば「パン」とコロケーションが良い言葉は「食べる」です。これを「かじる」にすれば、パンが堅いことや少しずつ食べている状態を表現できます。また「飲み込む」にすれば、急いでいる様子や無理矢理食べている感じが伝わってきます。これを応用して、色々と表現で遊ぶこともできます。カジュアルな話の中に難しい単語を挟んで抑揚をつける、真面目な話をしている時に擬音語・擬態語を放り込んでふざけた感じを醸し出す、こっそり掛詞を仕込んで自己満足と共に心の中でほくそ笑む(誰かにツッコミを入れられるととても恥ずかしい・・・)、などなど。芸術は物理的に爆発できないからこそ、岡本太郎の言葉は記憶に残るし、ロスタイムはふざけるはずがないからこそ、松木安太郎の解説は面白いのです。

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ダブリンの語学学校近くの風景

 

 ただ、このような感覚を同じ言語の話者同士で共有できるのは、これまでに得てきた膨大な量の共通知識と経験があるからです。日本の文化とその背景、そして普段の会話やメディアを通して見聞きした情報がなければ、この共通感覚は持てない様に思えます。

 

 そんなわけで、この「意図的なコロケーション外し」を外国語でやるとなると途端にハードルが高くなってきます。外国語学習者は、コロケーションに関する知識や文化的なバックグラウンドが、ネイティヴに比べて圧倒的に足りません。この母国語と外国語との距離は、言語によって変わってきます。例えば日本語と韓国語・中国語は距離がとても近いです。日本語話者にとって文法がよく似ている韓国語や、共通の文字を使用している中国語はとても学びやすい言語です。文化的にも共通のルーツを持っているものが多々ありますし。それに対して、英語やスペイン語は全く共通点のない赤の他人の様なもの。発音・文字・文法から文化・宗教・食習慣まで、あらゆるものが異なります。英語の様に全く異なる色を持つ言語の学習は、その国に数年滞在すれば何とかなるってレベルじゃないです。外国語学習本の中でよく出ている「ネイティヴレベル」というものを、「母国語と同じレベルで使いこなせる」と定義するのなら、そこにたどり着くのは無理に等しく思えてしまいます。

 

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ダブリン中心部の夕景

 

 つらつら書いてきて悲観的な結論にたどり着きましたが、言いたかったのは「語学って面白いよね!」ってことです。普段から使うものだからこそ、色々な方向から観察して思考と実験・実践を繰り返せば、何か面白いものが見えてくるはず、と日々感じています。

 

 科学を、特に数学を愛する人たちはその「欠けるところのない完璧なまでの美しさ」に魅了されると言います。複雑極まりない計算の果てにたどり着ける、全く無駄のないシンプルな方程式に心を打たれると。それに対して語学は可愛い存在です。片言でもコミュニケーションをとれることもあるし、常に変わり続けるものだからネイティブでさえ完璧に使いこなすことは出来ない。なんだかよく分からない曖昧さの中に存在しているのに、それぞれ個性があって、初心者・熟達者問わず気軽に触れることができる。そんなところが語学の魅力に思えます。

 

 巷でよく言われている「英語はただのツール」論を超えてどんどん進んで行けば、新たな色の世界を感受し表現できるかもしれません。