From a Corner of Somewhere

ユーラシアを北から南まで旅した記録 日本語と英語で書いてます。 Traveling From the North to the South of Eurasia

No.9 バルト海と認知科学

 早朝にサンクトペテルブルクを出発した急行アレグロ号は、針葉樹が生い茂る森林を抜け、数時間後にフィンランドの首都ヘルシンキに到着した。この街には北欧を周遊した後にもう一度来る予定である。そのため、宿泊せずに夕方発のフェリーで次の街であるストックホルムに行くことにした。中央駅のロッカーに荷物を預け街へ出ると、ロシアとは違った洗練された街並みが広がっていた。北欧は、よくそのデザイン性の高さとともに語られる。建物の形から看板上の文字の配置まで、いたるところにデザイナーの遊び心を発見することができ、それが人々の生活をより楽しいものにしていることがよく分かる。

 

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国が変われば人種が変わり、当然顔つきも変わってくる。しかしそれ以上に表情が違う。ロシアでは険しい顔をした人をよく見かけたが、この街には笑顔が溢れている。ロシア人があまり笑わないのは「無駄に笑っているとバカに見える」かららしいが、やはり笑顔の中で過ごす方が心が安まるし警戒心が溶けてくる。

 

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 出航時間が近づいてきたので港へ行くと、船の入り口でムーミンとミーがお出迎えをしてくれた。さすがフィンランドだ。午後5時頃、フェリーはストックホルムへ向けて出発した。ヘルシンキは日本の街よりずっと緯度が高いので、この時間でも太陽はまだ空高い位置にいる。小さな島の間をゆっくりと航行していった船は、外海に出ると速度を上げて何もない地平線へと突き進んで行った。

 

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 船内のお店の値段は北欧の物価に輪を掛けて高かったので、店先をひやかすだけにして、夕食を食べ終えた8時半ごろ夕焼けを見に甲板に出ることにした。日がずいぶん傾いたこともあって、甲板では寒風が吹きすさんでいる。このころになると、雨の日以外は夕焼けを見に外に出ることが習慣になっていた。バルト海に沈む夕日は見事であり、地平線から姿を消した後も空を真っ赤に燃やし続けていた。いつも通り綺麗な空だったが、一つ疑問が浮かんでくる。この夕焼けを何故日本で見てこなかったのだろうか?

 

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 働き始めてから東京と横浜で合計約6年間過ごしてきたが、その間に綺麗な夕焼けを見た、という記憶がほとんどない。今回の旅に限らず、旅先で綺麗な夕景に出会うことはよくあるが、なぜ日本では見えなかったのだろう。緯度によって日の出・日の入の時間は変わるが、光の差し方にはそれほど違いはない。空気が澄んでいるほど空と太陽はハッキリ見えるが、日本の都市部の空気は絶望するほど汚れているわけではない。高層ビルに視界を遮られているため、太陽が最も赤く燃える瞬間を捉えることはできないが、赤く照らされた空を見ることはできる。これらを考慮すると、今まで旅してきた地域と東京・横浜に大きな違いはないだろう。

 

 気持ちの問題だろうか?旅に出る前はITエンジニアとして働いていた。比較的ハードな仕事であり、残業過多で精神的にまいっていた時期もあった。しかし、一年の半分以上は平穏に暮らしていたはずだ。

 

 認知科学関連の本はたまに読んだりするが、そこでは人間の「見る」という行為と「認識する」という行為の間には大きな隔たりがあると述べられている。おそらく、僕は夕焼けを網膜で捉えていても、そこから何かを認識し理解することができていなかった。そして夕焼けだけではなくて、色々な景色を見逃しながら今日まで過ごしてきてしまったのだろう。

 

 バルト海を航行するフェリーの上でこんなことを考えているなんて、我ながら変なことをしていると思う。しかし、今まで考えてこなかったことを考えるということは、きっと意味のあることなのだ。考えてみたいことも読みたい本も山ほどあるが、続きはまた明日。いい加減寒くなってきた。夏と言えども北欧は、夜涼みには適していない。